人生には無駄なことしかない

「人生になにひとつない無駄なこと」
中学の国語の授業で書いた俳句だ。そのときは、人生なんてものを深く考えたこともなく、本当にそう思っていたわけではない。大人になってこの句を思い出し、本当に無駄なことがないのかと疑問に思った。

記事掲載日:2017.01.15(この記事は 2019.06.15に修正されました)

「実は、会社を辞めようかと思っています」

D社部長、長谷川は予想していた言葉に小さく息を吐き出した。
部下の久重がここ数週間ほど調子の悪い顔をしていたので、営業先に同行した帰り、久重を飲みに誘ったのだ。

「何かやりたいことでもあるのか」

長谷川は汗だくの手と顔をおしぼりで拭った。

「いえ、特にありません」

「なんだ、トラブルか? 俺で力になれることがあれば相談にのるぞ」

長谷川の言葉に久重が首を横に振る。営業職は辞める者が多い部署のひとつだ。理由の大半は営業成績が伸びないことにある。だが、久重の営業成績は悪くない。いや、むしろ良い方だ。

「仕事に問題があるわけではありません。ただ」

久重が重い口を開きかけたとき、店員がビールを運んできた。長谷川がジョッキを受け取り、料理をいくつか注文する。いつもなら率先して動く久重は、肩を落としてうつむいている。長谷川は何も言わずに久重の前にジョッキを一つ置き、熱を帯びた体に冷たいビールを流し込んだ。久重は手の中でジョッキを動かした後、覚悟を決めたようにビールを飲みほした。

「一体、何のために仕事をしているのか、よくわからなくなってしまったったんです。入社したての頃は仕事を覚えるのに必死で、営業成績を上げることだけを考えていたんです。それがここ最近、少し余裕が出てきて……いえ、部長に比べたら、まだまだだっていうことはわかっているんです。でも」

久重の言葉がとまる。
久重が入社してきたのは2007年、リーマンショックの前年だった。その年、長谷川自身も部長に昇任し、部下の教育に力を入れようと奮起していた頃なので、よく覚えている。営業部への新入社員が20名ほどおり、久重はリーダー的存在だった。

「特に趣味があるわけでもないし」

久重が再び重い口を開いた。長谷川は黙って話に耳を傾けた。

「時間が余るようになったら、急に自分の存在が無意味に思えてきて、一体、自分が生きていることにどれくらいの意味があるんだろうって。自分がいなくなっても会社が倒産するわけではないし、友だちだって、家族だって、一時的には悲しむかもしれないけど、生きていけるでしょうし。だったら、自分は何のために仕事をして、何のために生きているんだろうって」

久重はそう言ってテーブルに並んだ料理を見るでもなく眺めていた。黙って話を聞いていた長谷川が久重の肩に手を乗せる。

「なぁ、久重。それなら生きていて意味のある人間っていうのは、どんな奴だと思う?」

長谷川の質問に久重がほんの少し考え、顔を向ける。

「社会の役に立っている人間ですかね。歴史に名を残すとか、教科書に載るとか。そこまでいかなくても、この人がいなかったらこの技術は生まれてこなかったとか、そういう特別な人、いるでしょ」

「確かにな。だが、百年、いや千年、二千年たったらどうだ? たとえば人類がこの世界から消えたら、文明も技術もすべて消える。何の意味もなくなる。だとしたら、歴史に残した功績も何の意味もない」

「極端すぎませんか」

久重が顔をしかめる。

「そうか。だが、業界では、そこそこ名の知れた俺たち会社も社会の歯車のひとつにすぎない。なくなったとして、どれくらいの影響力があるかわからんぞ。それこそ、百年もしたら会社自体なくなっているかもしないしな。そうなれば俺たちが残業したり、頭下げて、駆けずり回ったり、休日出勤したりしていることも無駄になる」

「それなら何のために働いて、何のために生きるんですか」

久重の困惑した顔に長谷川が笑みを見せる。

「そうだな。何のためでもいいんじゃないのか。どうせ、この世には無駄ことしかないんだ。どれほどすばらしい技術も、すばらしい功績も、突き詰めれば無駄でしかない。だが、だからこそ何をやっても、そこに意味を見いだせる。自分がこれだと信じられる意味を見つければ、それでいいんだと、俺は思うがな」

「では、部長は何のために仕事をしているんですか」

久重が不満そうな顔を長谷川に向ける。

「俺か、俺は家族を養うために仕事をしている。だが、それだけでもないな。まずはおまえを一人前にすることが俺の役目だ。おまえがいなくなったら、俺のやっていることも意味がなくなるっていうわけだ」

「部長、ずるいですよ。そんなこと言われたら、辞められないじゃないですか」

久重はそう言って、刺身の盛り合わせに手を伸ばした。顔にはほんの少し笑みが戻っていた。

ある時期、自分の存在している理由・意味がわからなくなった。

生きている意味がわからなくなったとき、「人生には無駄なことしかない」「意味などないのだ」、ということに行き着いた。それならば、ただ生きているだけでも問題はないのだと開き直り、いつしか、意味がないのなら、自分で意味付けしてもよいのではないか、と考えるようになった。

はじめから意味がないからこそ、自由に、思いのままに意味を見出すことができる。

すべてが無駄だからこそ、ひとつひとつを無駄ではなくすることができる。

ちょっとした詭弁(きべん)のようにも思えるが、私はそれでいいと思えた。もし、自分の人生に最後まで意味がなかったとしても、最初から意味がないのだから、それで当然。もし何らかの意味を見つけることができたとしたら、それは自分が生きてきた人生の最後のご褒美なのだ。

そう思うと、自分の人生もまんざらでもない気がしてくる。

松江ブログ(M2エムツー)

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