2.インスリン注射の日々

「お母さんは重篤な糖尿病です。数値が11.6(このとき何の数値かわからなかったが、そう言っていたと記憶している)。このままだと手術ができないかもしれません。手術できない場合、車椅子、寝たきりになる可能性もあります。」

そういわれた日から、母のインスリン注射の日々が始まった。

記事掲載日:2019.07.29

とにかく、インスリンの注射をうち、糖尿病の数値を下げなければならない。
数値が下がらなければ、手術ができないからだ。救急搬送された医師から告げられた「出術がつまっていて1週間は手術できないため転院する可能性が高い」という話はいつしか消えていた。インスリンの数値の改善に1週間以上かかる、という判断だったのかもしれない。

インスリン注射と低血糖

日頃、驚くほど味の濃いものばかりを食べていた母にとって、病院食であり糖尿病食である食事は、ひどく薄味だったに違いない。だが、このとき69歳だった母は、それでも一生懸命食事をした。昔の人という言い方があてはまるかわからないが、やはり我慢強いのだろう。味がないといいながらもなんとか食事をした。

それでも病院から出る3食の食事は驚くほどの量で、すべて食べられないことがほとんどだった。それでも食べなければならない。インスリン注射をしているため、食べなければ低血糖を起こしてしまうのだ。低血糖が起これば意識を失うこともある。(この時のインスリン注射の単位はわからないのだが、おそらくMAXだったに違いない)

母は何度か低血糖を起こし、すぐにブドウ糖をとり、安静にして血糖値を安定させていた。幸い病院であったため対処は早く大事には至らなかった。それでもあとから聞いた話では、何度か吐いたり、震えがおこったり、したようだった。

もし、このままインスリンの注射の生活が続き、家でも注射を打つことになったら

そう思うとぞっとした。
単位を間違えれば、低血糖を起こす可能性があり、低血糖を起こせば命にかかわることもある。だからといって、始終家にいて、インスリン注射に付き添うこともできない。

だが、このときは、インスリン注射の処置のことよりも手術ができることへの祈りの方が強かった。入院の目的は糖尿病の治療ではなく、左大腿骨骨折の手術のためだ。

私は毎日、手術ができることを願うばかりだった。
手術ができなれば治る期待すら持てない。

それからしばらく、その状況を見守る日々が続いた。

私は仕事があるため、平日は比較的自由のきく家族が病院にいった。出術が決まるまでの間、毎日家族の誰かが病院に行った。感覚的には2週間ほどが経っていたような記憶なのだが、実際には5日ほどたったとき、医師から「手術できるかもしれない」という話があった。

手術ができる。その言葉に、私はどれほど安堵しただろう。
もちろん、手術がうまくいく保証も元通りになる保証もない。だが、手術ができるということは治る希望があるということだ。

母の手術は、入院から6日後のことだった。

注意

この日記の内容を実行したとしても、よくなるという保証はなく、個人の症状によっては悪化する可能性もあります。あくまでもこんな風にやっているんだ、という程度のものです。この日記の内容、または内容をアレンジして、病状が改善されない、悪化したという症状がでたとしても、当サイトでは一切責任を負いません。必ず、専門家(医師・管理栄養士)などの指示の元、自己の判断・責任において、治療等行ってください。

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