記事掲載日:2017.01.04(この記事は 2019.06.15に修正されました)
「何、見ているの?」
京子は昼休みにパソコンの画面と格闘している同期の増田に声をかけた。
「ん? あぁ、実は今度の合コンの幹事になっちゃってさ。どこかいい店ないかなぁと思って」
京子はブラウザーを覗き込むと店の名前がずらりと表示されている。
「なかなか満点の店がないんだよね。まぁ、そんな店ないだろうけど、幹事になった以上、店選びに失敗するわけにいかないしなぁ」
増田はそう言いながら肩を回した。京子が眉を寄せる。
「満点の店って、どういう店?」
「そういわれると困るんだけどさ。そうだなぁ。女の子が店に入ったときにひかないような店かな」
「まずい店でも、洒落た店でなくても、それが笑い飛ばせて話題になれば、あたりさわりのない評価の高い店に行って、おいしいねという会話をするよりも面白いんじゃない?」
京子の言葉に増田があからさまに嫌な顔をする。
「ありえない。」
今度は京子が眉を寄せた。
「情報をあてにしてもすべて当たるってわけでもないでしょ」
京子の疑問に増田が首を振る。
「そんなときは、おかしいな、食べログでは評価っ高かったんだけど。でごまかせばいいんだよ。」
増田が再び店を探し始め、京子は自分の席に戻った。
記事のせいにするって、それこそ評価最悪じゃないのかな。
ネット上にあふれるコメントや評価。
食べログやぐるなびだけでなく、ネット販売、情報サイトなど、コメントや評価はネット上に数多く存在する。
味は好みに左右され、いい商品、いい店などの評価も個人の個性やセンスを反映してしまう。評価もコメントも個人の感覚にすぎず、評価した人の感覚が自分と同じかどうかはわからない。たまたま感覚が合うこともあれば、全く合わないこともある。つまり評価の真偽は不明だ。
とはゆえ、基本的な商品情報とメーカーからの良いところ押しの情報のみよりも、コメントや評価が役に立つことも事実だ。かくいう私も商品を購入するときはコメントや評価を参考にしている。だが、良い点や褒めポイントは読んでもスルーしている。こんなに良いところがあるというコメントで買っていた頃、失敗の連続だった。使わないであろう大量のスペックや、あれもこれもと期待を込めて商品を購入するとたいてい、こんなものかと落胆する。
商品購入時に大切なことは、今、必要としている機能が備わっているかどうかだ。
だから私はマイナスの評価を確認し、これくらないなら我慢できそうだ、これが本当なら我慢できないからやめておこう、というように利用している。それでも失敗はあるが、その時は笑い飛ばせられるならば我慢の範疇、と思うことにしている。
すべてうのみも、すべてダメもどうかと思う。
どう使うか。どう利用するか。それは個人が決めればいいことだ。
失敗するリスクを減らすのは大切なことかもしれないが、もしかしたら失敗するリスクを減らすことで、何か別のものもうしなっているのかもしれない。そんな気もする。