五体満足というごく稀な人のための世界

私は子どもの頃から自律神経があまり整っていない人間だった。
朝、幼稚園や小学校に行けないことも多く、バイト先に行く電車に乗れなくなってしまったこともある。味覚障害になったことも、自律神経の乱れで意識を失い救急車で運ばれたこともある。それでも大きな病気をしたことはなく、軽い手術をしたくらいで、自分を病人と思って生きてきたことはない。だが、親が大腿骨骨折と診断されてから世界は違ってみえてきた。

記事掲載日:2018.09.22(この記事は 2019.07.15に修正されました)

入院生活を送る親の病院を訪れるとそこにはたくさんの人ががいた。

先天的に手や足が不自由な人、車椅子に乗る人、事故で手足を失った人。意識してみると病院だけはない。車椅子に乗る人や杖をついている人は、普段自分が歩いている町にもたくさんいた。

だが、道路は路上駐車している自転車で道が細くなり、段差や障害物など危ない場所はいくらでもある。急いでいる人、歩行者用の道を自転車で走り抜ける人、思いもよらないスピードで細い道を曲がってくる自動車。普段何気なく歩いていた道も、杖をついて歩く親の目を通してみると、歩きにくいと感じる場所がいくらでもあった。

平成29年の交通事故事故件数
472,165件(引用:警視庁)

交通事故にあった人の中にも完治する人もいるだろうが、後遺症が残る人もいる。交通事故だけではない。先天的に社会生活が難しい人も、後天的に難しくなった人も、病気の後遺症を持った人もいる。

  • 身体に障害を持つ人
    3,922,000人(引用:平成29年障害者白書)
  • 知的障害をもつ人
    741,000人(引用:平成29年障害者白書)
  • 精神的な障害をもつ人
    3,924,000人(引用:平成29年障害者白書)
  • うつ病を抱えている人
    約5,060,000(引用:WHO)

そのほかにもさまざまな病気で入院生活を送る人、障害治療を続けていかなければならない人。治療すらできない病を抱えている人もいる。もはや五体満足な「健常者」と呼ばれる人間の方が、稀といってもいいのではないのだろうか。

それでも日本社会は健常者と呼ばれる人のルールで成り立っている。

かくいう私もその一人であり、五体満足という奇跡の上に胡坐をかいている。仕方がないと済ましてはいけないのだろうが、視点を変えて別の世界をみることは存外難しい。どうしても自分の視点ですべてを捉えてしまう。自分を取り巻く環境が変わるとき、ほんのわずかに視点が変わり、別の世界を見ることができるようになるに過ぎない。

もし、もう少し、ほんの少しだけ、
誰もが視点を変えた世界を見ることができたならば、世界はもう少し、誰にとっても穏やかな世界になるのかもしれない。

松江ブログ(M2エムツー)

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