004 太宰 治 氏

引用
人間、三百六十五日、何の心配のない日が
一日、いや、半日あったら それは仕合わせな人間です。
太宰治 小説「ヴィヨンの妻」より

記事掲載日:2017.08.16(この記事は 2019.06.15に修正されました)

太宰治 小説「ヴィヨンの妻」より

引用
人間、三百六十五日、何の心配のない日が一日、いや、半日あったら それは仕合わせな人間です。
太宰治 小説「ヴィヨンの妻」より

太宰治氏の小説は『斜陽』と『人間失格』しか読んだことがない。
『斜陽』は中学の頃、友だちに薦められて読んだのだが、その頃「本」とまったく縁のなかった私の記憶には、登場人物がスカートを持ち上げて用を足すというシーンだけが残った。内容がよく把握できず、太宰治氏には難解な小説家というイメージがついた。

そのため『人間失格』を薦められても読まず、「いいかげん人間失格くらい読んでおかないとなぁ」と重い腰を上げたのは、7~8年前くらいだった。すっかり大人になっており、少しは本との縁もできていたので、なるほどと名作と言われる理由を噛みしめた(偉そうで申し訳ない)。

上記の通り太宰治氏の本は二冊しか読んでいないので、当然『ヴィヨンの妻』は読んだことがない。この言葉は数年前に、本屋で偶然手に取った名言集の中に出てきたものだ。本のタイトルすら覚えてないが、この言葉が強く心に残った。

おそらく、当時、忙しさやいろいろな事情に追われ、精神的にひどい状態にあったこともあったのだろう。この言葉を読んだとき「半日くらいなら、不安も心配も忘れていることがある」と自分を顧み、自分はまだまだ仕合わせな人間なのだと思うことができた。

時折、人生の底にいるような気分になることはあるが、この言葉のおかげで、そうでもない自分を知ることができる。

あとがき
似てなさ加減が今までで一番ひどい。
※言葉の解釈は個人的なものです。言葉にも厳密さはありません。

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