人生は所詮、暇つぶし

お盆休みに入った。この時期はどこに行くにも高額で、帰る田舎もなし、さりとてやることもなし。暇だなぁと思っていたとき、ふとこの言葉が頭に浮かんできた。誰かが言っていたのか、どこかで聞いたのか、それはわからない。

記事掲載日:2017.08.13(この記事は 2019.06.15に修正されました)

自分を仕事人間だと思ったことはないが、仕事をしていないと暇である

仕事をしているときは「休みたい」「次の休みはあとどれくらいだ」「まとめて休みを取りたい」と思うことがあるが、いざ、約1週間に及ぶ休みができると何をしたものか悩んでしまう。旅行などのための長期休暇であれば別だが、お盆休みはとにかく、どこに行っても人、人、人。その上、高額。

毎年、自由研究と題して、何かをつくってみたりするのだが、今年は何も用意していない。(正確には、用意しているが1日、2日あれば終わるもので、すべての休みを使い切るほどの計画ではない)。思うことはただ一つ

「暇だ。何かすることはないだろうか」

ほんの一週間程度でこれほどやることがないのだ。
もし普段、仕事をしていなかったら、毎日何をして暇をつぶすのだろう。
そう考えてみると仕事も人生の暇つぶしの一つにすぎない気がしてくる。1年のうち大半を占める仕事が暇つぶしであるならば、暇つぶしでないものなどほとんどないのだろう。

人生とは所詮、暇つぶしをしているに過ぎない
と考えれば、何もすることがない今の私のこの暇さは当然であり、納得できる。

みな人生の暇をつぶすためにあれこれ見つけては、動き回っているのだ。
人はそれを夢や目標、生きがい、楽しみと呼ぶのかもしれない。
暇つぶしと一緒にしないでくれ!と言われるかもしれないが、言葉を変えたところで長い人生の暇つぶしであることに変わりがない。

どうせ暇をつぶすのならば、面白い方がいい。

もちろん、ぼんやりとして暇をつぶすのも何かをして暇をつぶすのも、同じ暇つぶしだ。
自分が楽しければいいし、満足できればいいだろう。

だが、どれもみな「暇つぶし」であるならば「あいつ、いい暇つぶし見つけたな」と言われるくらい面白い暇つぶしがいい。暇つぶしなのだから、人に羨ましがられる必要も、ほめられる必要もないが、人から見ても「いい暇つぶし」であるならば、それはきっと最強の「暇つぶし」に違いない。

人生を埋め尽くせるほどの暇つぶし。それを見つけることができたなら幸せだ。

あとがき
暇つぶしで書いた記事を読まされているのか。と言われれば返す言葉がない。だが、この世は所詮、暇つぶし、ならば一緒に暇をつぶしたこの記事は、自他ともにみとめる「暇つぶし」。ならば最強の時間を過ごせた「いい暇つぶし」かと。もっとも暇つぶしにもならなかっとしれば、それはもうきっと、このHPには着てはもらえないだろうなぁと悲しむだけである。

 

松江ブログ(M2エムツー)

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