仕事もプライベートも「つまらない」にあふれている

「つまらない」と思うことが日々増えている。
何をしていても「つまらない」。仕事をしていても、家にいても、テレビを見ても、本を読んでも、何もかもが「つまらない」。「つまらない」世界から脱出したいとあれこれ考えてみるものの、私の周りの世界にはやっぱり「つまらない」があふれている。その原因がなんなのか、答えを見つけだしてようと試みた。

  • 「つまらない」と思っているときはどんなときなのだろう。
  • 人と一緒にいる(話をしているとき)は、楽しい?
  • 仕事がつまらない?
  • 何だかよくわからないが仕事が「つまらない」と思うときもある。
  • 仕事がつまらなければプライベートで楽しめばいい。だが、私は一人でいるときの「つまらない」に悩まされ続けている
  • 「つまらない」の原因は一体、何だろう。
  • あとがき

記事掲載日:2017.07.29(この記事は 2019.09.05に修正されました)

「つまらない」と思っているときはどんなときなのだろう。

「つまらない」のだから、楽しくないということは間違いない。
仕事がつまらない。自分の思い通りにことが運ばず、つまらない。人と一緒にいるはずなのにつまらない。ひとりぼっちでつまらない。「つまらない」場面は探し出すと山のようにでてくる。たくさんありすぎるので「つまらない」を大きく二つに分けてみよう

  • ひとつは、自分以外の人とのかかわりの中で「つまらない」とき。
  • もう一つは、自分一人で「つまらない」ときだ。

人が絡む場面はたくさんあるが、私はプライベートで自分が嫌いな人とはつきあわないので、プライベートで人と会っていて「つまらない」という状況はほとんどない。以前は、誘われるとちょっと嫌だなと思っても付き合っていたのだが、嫌だなと思って付き合うのは、つらすぎるので、何と思われようと極力つきあわないことに決めてしまった。

嫌だなと思っていたけど案外楽しかったというチャンスは捨てたことにはなるが、そんなときは希少なのでよしとしている。そんなわけで、私の「つまらない」は、人が絡む場面ではなく、主に「仕事」と「一人のとき」に発生する。

人と一緒にいる(話をしているとき)は、楽しい?

基本的には楽しい。楽しくないとしても、つまらなくはない。
だが、相手の話がつまらないこともある。

  • 何を言っているのかわからない。
  • 意見が合わない。
  • 一方的に相手が話している。など。

相手に好意を持っていれば、すべて克服できるものだ。
相手に好意を持っているときはすべての感情が反転する。

  • 何をいっているのかわからない。
    →もっと教えてほしい
  • 意見が合わない。
    →そういう意見もあるのか。
  • 一方的に相手が話している。
    →もっと話を聞かせてほしい。

だが、好意を持っていなければ、一分一秒でも早く、立ち去りたいに違いない

とはゆえ仕事の場合、お客さんの前から立ち上がって去ることはできない。

なので、私は初対面のお客さんに興味を持つことにしている。この人はどんな人でどんな癖があるのか。何を大切にしているのか。それがわかると仕事がしやすくなることもある。注意点は一つ。頻繁にあうと興味が薄くなるので、最小限にとどめなければならない。(※基本、人とはあまり会わない仕事なので、接客業の人のように馴染みになる必要はない)

仕事がつまらない?

自分の好きな仕事をしている人は少ない。仮に好きな仕事をしていたとしても毎日たのしい、という人はいるだろうか。「毎日はさすがに楽しくないな」という人がほとんどなのではないだろうか。毎日、楽しいよという人は幸せな人か、風変わりな人に違いない。

だが、楽しくはないけれど「つまらないわけでもない」ということは多い。

つまらないと考える余裕がないほど、次から次へと仕事を処理しなければならないときは、「つまらない」とは感じていない。だが、そんな仕事のあとは危険だ。少し余裕ができた途端に「つまらない」がやってくる。それはただ左から右に仕事を受け流していることに、なんだか意味が見いだせず、つまらない仕事だと思ってしまうからだ。

仕事の場面ではほかにも「つまらない」がある。

仕事が思い通りに運んでいるときや、自分の意見が採用されているときは、やる気満々で楽しい時だ。だが、自分の思い通りに仕事を実現することができないときや、自分の意見が否定され続けるときは「つまらない」が襲ってくる。調子のよいときばかりではないのだから仕方がないのだが、つまらないは避けられない。

スタッフの熱量が異なるときも感じるときもある。
ここは一致団結、頑張って乗り越えよう!という場面で、「おーっ」と言っても「おーつ」と返ってこない状態はテンションが下がり、つまらない人たちだなぁと思ってしまう。(※実際に「おーっ」と言うことはないのだけど、テンションがそんな風に見える)。

人が絡むと難しいのは、人の気持ちを変えることはできないということだ。
そんなときは、人は人、自分は自分と割り切って、淡々と仕事をこなす。自分の仕事だけに集中し、「つまらない」を封じ込める。人を切り離せば、あとは自分だけの心の持ちようで済む。本当ならみんなでワイワイやった方が楽しいのだろうが、職場は遊び場ではないのでそれもまた仕方がないと切り捨てる。人がわからないのであれば、自分を変えるしかない。

面白くない理由を並べ上げて、それを一から順に解決していこう

例えば、こんな感じだ。

あいさつしない人が嫌だ

私の会社は皆声が小さく、あいさつもろくにしない。
だが私がしないのは気持ち悪いので、返事が来なくても返事がきても挨拶だけは変わらずにする。心の中ではあいさつもできないダメな人だなぁと思っているが、あいさつができなくても仕事ができればそれでいいかと割り切ってしまえば、楽になる。

仕事を依頼すると嫌な顔をする。

仕事をチームでこなすということが少ない職場のため、頼む仕事はみな●●さんのお手伝いのような形になる。そんなときは、驚くべき返事が返ってくることがある。「自分でやってくださいよ」。これには言葉が出ない。私が頼んでいる仕事ではない、会社の仕事を上に相談して振っているだけである。そんなときはどうするか。

かかわらない。
できる限り仕事を自分で処理するが、専門分野外どうしても処理できない場合は、上からそのスタッフに指示を出してもらう。上の理解がないとできない技なので注意が必要だが、たとえ上司に仕事も触れないのかと思われたとしても、かかわる方が精神衛生上、悪いのであればお願いしてしまった方がいい。

何だかよくわからないが仕事が「つまらない」と思うときもある。

解決策を見出そうにも、理由が思い当たらないのに「つまらない」ときもある。そんなときは逃げるしかない。真向から立ち向かう時もあるが、立ち向かえないほどひどい状態の時もある。そんなときは、ひたすら逃げる。逃げると言っても仕事を辞めるわけではない。一日、有休を使って休んでみたり、何も考えず、淡々と仕事をこなしてさっさと帰るとか。できるかぎり、よい仕事をしようとか、楽しくしようなどと反抗せず、じっとこらえて「つまらない」が過ぎ去るのを待つ。

よい仕事をしようと思わないというのは、本来あってはならない社員の姿なのかもしれないが、どうしても立ち向かえないときには、逃げるしかない。立ち向かえないときに、立ち向かえば、コテンパンに打ちのめされて、それこそ立ち上がれなくなってしまうからだ。そうなったらもう手も足も出ない。仕事自体から撤退しなければならなくなってしまう。次に立ち向かうために、ほんのわずかな時間で済むように、ただひたすらに耐え忍ぶ。

仕事がつまらなければプライベートで楽しめばいい。
だが、私は一人でいるときの「つまらない」に悩まされ続けている。

それは以前、このホームページで書いたように、仕事の過密による時間配分に、イライラしないために、自分のやりたいことを捨ててしまったがために、以来、やりたいことがみつからなくなってしまったからだ。

1人でいるときの「つまらない」はたいてい、やることがない。
ということに尽きる。

何か目的があるときは一人であってもつまらなくはない。
ぼんやりすることが目的であれば、ぼんやりと時間を過ごしていてもつまらなくはないのだ。何かしたいのに、何をすればいいのかと、考えている状態が一番つらい。そんなときは「これをしよう」と思った考えを片っ端から批判している自分がいる。たとえばこんな感じだ。

映画でも見ようかな。でも意味がないな。

そもそも映画評論家でもないのだから、映画を見ることに意味を見出す必要などない。見終わったあと、すっきりした、面白かったと楽しくなれば十分なはずだ。だが、つまらない体制のときは、映画に人生の意味でも見出そうとするかのように厳しくなる。

時間のかかる(ロールプレイングゲーム)でもしようかな。

と思ったときも、いや、でも単なる時間の無駄だなと一蹴してしまう。もしかしたら、時間を忘れて没頭できる時間を手に入れられるかもしれない。ゲームの内容自体は役に立たないかもしれないが、ゲームに没頭したことによりリフレッシュできるかもしれない。だが、つまらないモードの時には、時間の無駄だと切り捨ててしまう。

買い物に行って服でも買おうか。

似たような服があるし買うことはやめておこう、お金の無駄だと考える。
確かに正しい選択ではある。服など必要な分だけあれば十分だ。だが、その服を買うことによって気分が明るくなるとしたら、副産物として活動的になるかもしれない。

とにかく「つまらない」状態は、無駄を嫌い、意味を求め、あらゆることを否定する。

「つまらない」の原因は一体、何だろう。

それはもしかしたら、「考えすぎること」なのかもしれない。
あれやってみようかな、いや、ムダだ。これやってみようかな、でも意味がないな。

確かに、やってみようと思っていることに意味などないかもしれないが、やったことによる副産物はあるかもしれない。やってみなければ、その先に何があるかわからない。将棋の棋士のように何十、何百と先の一手まで想像は及ばない。

やってみようかな・・・よし、やってみよう!
それが「つまらない」から抜け出す唯一の方法かもしれない。

もう一つ「つまらない」と思い始める原因に我慢がある。

お金を残そうと必死に貯金をするのも「つまらない」の原因かもしれない。
確かに老後の蓄えは必要だ。だが、今を酷使して未来を守りすぎるのはどうだろうか。貯金に生きがいを見出しているのならば、貯金は楽しく、つまらないものではないのでよい。

しかし、今、何かを我慢して、つまらない思いをしているのなら、少し財布の紐を緩めてみてもよいのではないだろうか。旅行に行くことをずっと我慢しているより、二度行きたいうちの一度を我慢して、一度行けば楽しくなる。

つまらないとかつまらなくないとかの問題ではないと言われそうだが、描いている老後まで生きている保証がどこにあるだろう。もし予想もしないことが起きたなら、私は一体、何のために貯金をしてきたのだろうかと思わないだろうか。老後のためだけの貯金。そのための我慢は楽しくない。

貯金をしつつ、無理のない範囲で時折、楽しいことに使う。使った後、ああ、たくさん使ったなぁと反省するかもしれない。でも楽しかったからいいか、と後悔しないのなら、きっといい使い方だったに違いない。

ひとつ何かを我慢していると、その我慢が伝染するかのように、いつかすべてを「つまらない」に変えてしまう。楽しいことが伝染すれば、いつか「つまらない」は姿を消していくはずだ。そう信じて、今、思いついた「やろう」をはじめよう。

あとがき
毎日「つまらないな」と思っていた時に偶然、出会った絵本が、この記事の最初にでていた画像。「つまらない」をたくさん持っている人が読んだら、きっと、そうそうと頷きながら笑ってしまう。最後の落ちもシュールでいい。

松江ブログ(M2エムツー)

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