声を出さなければ、手を伸ばさなければ、助けてもらえないのか。
言葉にできる人間ばかりではない。声を出そうにも出せない人間もいる。手を伸ばそうにも伸ばせない人間もいる。だが、誰だって自分のことに必死だ。声に出さない思いを、すべて拾い集められる人間などいない。
言葉にできる人間ばかりではない。声を出そうにも出せない人間もいる。手を伸ばそうにも伸ばせない人間もいる。だが、誰だって自分のことに必死だ。声に出さない思いを、すべて拾い集められる人間などいない。
記事掲載日:2017.01.14(この記事は 2019.06.15に修正されました)
「どうして、黙っていたんだよ」
同期の田中が会社を辞めることを知ったのは、退社当日だった。声をかけた桐原に田中が薄い笑みを返す。
「いろいろあってな。ま、また今度、ゆっくり」
田中は言葉少なく、桐原に軽く手を振ってみせる。部署こそ違うものの、田中は数すくない同期の一人だった。
「田中さん、病気らしいですよ」
追いかけることもできず、背中を見送っていた桐原に、田中の部下であり、桐原の大学の後輩でもある定吉が耳打ちする。
「病気?」
「ええ、噂ですけどね。うつ病らしいです」
桐原は驚きを隠せなかった。同じ会社ではある滅多に顔を合せることはない。それでも月に一、二度は顔を合わせていた。田中がそんなそぶりをみせたことはない。むしろ、いつも笑顔で、桐原を笑わせていた。
「俺に、一言も言わなかった」
桐原の呟きに、定吉が小さく息を吐く。
「そういうものみたいですよ。僕の知り合いにもうつ病で会社を辞めた奴がいるんですけど、誰にも話せず、一人で抱え込んで……結局、悪化してしまって。そういう人が多いみたいですね。もっとも話すことができていれば、病気にならないのかもしれませんけど。田中さんみたいな生真面目な人に多いみたいですね」
定吉の言葉に、桐原は眉を寄せた。田中は一体、何を悩んでいたのだろう。
「俺がもっとしっかり見ていれば、田中の異変に気がつくことができたのかもしれないな」
定吉に言うでもなく、桐原が呟いた。
「先輩のせいじゃありませんよ」
「無理して笑っていたんだ。俺が気づいてやるべきだった。入社した時からずっと一緒だった俺が」
桐原が重い息を吐く。
「100%、人を理解できる人間なんていませんよ。僕なんて自分のことだってわからないのに。ま、それでも言葉にしてくれたら、どうにかできることもあるのかもしれませんけど。こればっかりは」
定吉はそういって時計を覗き込み、はっと顔をあげた。
「いけね。僕、このあと会議なんです。先輩、それじゃ」
定吉は急ぎ足で社内に消えてゆく。桐原はもうとっくに姿の見えなくなった田中の背中を見つめた。
つらいときは、つらいといえないのは、なぜだろうか。
自分の思いを言葉にしても、相手に伝わらないと思っているからだろうか。それとも、わかってくれるだろうか? と不安で、言葉にできないのだろうか。自分のことなど誰も何とも思わないと思っているからだろうか。こんなことを言ったら馬鹿にされる、けなされると思ってしまうからだろうか。
もし、声を発しても、手を挙げても誰も助けてくれなかったとら、それは無駄なのだろうか。前より傷つくだけなのだろうか。たしかに、状況は変わらないかもしれない、より傷つき苦しむかもしれない。けれど、誰かが助けてくれるチャンスは作ることができる。
そう思っても、声を出せない人間もいる。手を伸ばそうにも伸ばせない人間もいる。抱え込んでしまう人。言葉にできない人。表情にも出さない人。
何かしらのサインを出しているのかもしれないが、すべてのサインを見逃さない人間はスーパーマンだ。
誰だって自分のことで精いっぱい。見逃してしまうことも、自分のことを優先させてしまうこともある。たとえ自分のことを優先したとしても誰にも責めることはできない。
思いを伝えることは難しいかもしれない。
話ても、わかってもらえないこともあるだろう。
助けてもらえないことだって、あるかもしれない。
それでも言葉にし続けなければ、スーパーマンを待つよりほかにない。
かくいう、私は自分のことで手いっぱい。
助けるよりも、助けられることの方が多い未熟者。
助けを求めたとき、すぐに手を差し伸べられないと、暗い闇に放り投げられたような衝撃を受けることもある。だが、時間が必要だ。助ける方にもやるべきことはたくさんある。すぐに助けてもらおうと思ってはいけない。だから、最後の最後につらいとつぶやくのではなく、もうだめかもしれないの一歩手前で、助けを求める。最後に求めたのでは、時間が足りないからだ。
自分のためだけではない。自分を思う誰かのためにも、言葉にすること、手を伸ばすことは必要だと思う。気がついてやることができなかった。手を差し伸べることさえできなかった、その思いもまた、つらいからだ。
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