どれほど願いをかなえたら、人は満足するのだろう

「目標達成」「夢の実現」「願いをかなえる」
どれも似ている気がするが「願いをかなえる」は、前の二つとは異なっている。感覚的なものかもしれないが、「願いをかなえる」には、自分の力だけでなく、何か別の力が必要な気もする。小さな願いもあれば、大きな願いもある。けれど、私の人生において一番かなえたい「願い」は、かなったことはない。

記事掲載日:2017.01.09(この記事は 2019.06.15に修正されました)

“今までの人生を後悔しているわけではない”

昼食を取ろうと店に入り何気なく店内を見回して、ぼんやりと考えていた。
日曜日ということもあり店内は家族連れであふれている。

順風満帆な人生を送って来たわけではない。だが、苦難の連続というわけでもなかった。

職場にめぐまれ、何十年来の友もいる。病気という病気もせず、買いたいものも少しは買うことができる。望めば遊んでくれる友だちも、ストレスを発散させてくれる職場の仲間もいる。それでも「今のままで十分しあわせ」と言いきることができない自分がいる。

私は独身者だ。「結婚していたら」と思うことがないわけではない。

だが「結婚したい」と思ったことは一度もなかった。結婚適齢期などという年齢はとっくに過ぎてしまったし、小さな手をつないで歩くことも、もうないだろう。だからといって、今の人生にそれほどの不満があるわけではない。ただ人生を生き抜くだけでよいのなら、100点ともいえる。

だが、心はすっきりとせず、満足することもない。

「何かをしなければ」「何かを成し遂げたい」という気持ちがいつも渦巻いているが、仕事の忙しさを言い訳に何もしない自分がいる。

私の人生において願いはかなわないことの方が多い。

願ってもかなわないのなら、願わなければいいと思うこともある。それでも願ってしまう。たまに願いがかなったと思えば、「もう少し、もう少し」と欲張って、すべてをダメにしてしまうこともある。

“一体、どれほどの願いをかなえたら、満足するのだろう”

食器の入ったトレーを手に持ち、立ち上がった。

私は一生このままかもしれない。
何かを成し遂げることも、何かを後世に残すこともなく、この先も同じことを考えながら、生きて行くのかもしれない。この堂々巡りの思いから抜け出せたとき、しあわせになれるのだろうか。何かを願わなくなるのだろうか。

“どんな願いをかなえても満足することなどないのかもしれない。”

だとしたら、願いを「かなえる」ことは、願いを「抱く」よりも大切なことではないのかもしれない。

松江ブログ(M2エムツー)

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