記事掲載日:2016.02.07(この記事は 2020.06.21に修正されました)
1 目標を持ったことのない人間が、大きな目標を持って上手くいくはずがない
子どもの頃から「夢」や「目標」に向かって何かをしたことはない。向かうどころか持ったことさえない。幼稚園の卒園アルバムに書かれた「夢」は、幼稚園の先生。今でも、はっきり覚えているが、何になりたいのかと聞かれ、何も思い浮かばず一番近くにいた人の職業を答えただけだった。
毎日、ただ遊ぶことだけに必至だった小学生の頃も同じだ。
何かになりたい、と思うことはもちろん、勉強が楽しいとか、必要だ、と思うこともなかった。ただただ「遊ぶ」だけの毎日。唯一、通った習い事のそろばんも、友だちがこぞって通っていたからだった。
友だちと一緒にいたいというそんな気持ちで始めたそろばん
算数好きだったからか、手先が少し起用だったからか、それとも負けず嫌いが功を奏したのか、遊びたいという気持ちではじめたそろばんは、面白いように級がとれた。私の通っていたそろばん教室では二カ月に一度試験があったのだが、私は入塾してから一度も足を止めることなく試験を受け続け、2年とたたないうちに3級までたどり着いていた。
しかし、一度も試験に落ちることなく進んできた私の前に、突如2級という壁が立ちはだかった。何やら受かりそうにない気配。もともと遊びたいという気持ちから始め、極めるなどという「目標」など持ち合わせていない。
その時初めて「落ちるかもしれない」という恐怖が私の心をよぎった。今まで一度も落ちたことなどない。私にとって落ちることは負けを意味していた。ここで負けず嫌いが裏目に出たのだ。落ちるという負けよりも、私は逃げるという負けない道を選んだ。
私は2級の試験に立ち向かうことなく、そろばん塾を辞めた。それは最悪ともいえる私の行動習慣となってしまった。私はこの後「失敗しないために逃げる」という人生を生き続けることとなってしまったのだ。
変わらない学生生活の果てに抱く不安
私はどこかで改心することもなく、ただ遊ぶことだけに夢中だった。中学、高校と「夢」も「目標」も一切持たずに歩き続け、卒業アルバムの「夢」はいつも適当だった。そんな私が30歳を迎えた頃「これでいいのか?」という疑問を抱いた。
「先のことを考えなくて大丈夫なのか?」
「何かを考えず、このままこの未来(さき)の人生を生きていけるのか?」
「一度くらい何かに真剣に取り組んだ方がいいのではないのか?」
疑問は膨れ上がり、不安は募っていった。
そして私は法律の勉強を始めた。
法律の勉強を始めのも思い付きに近い。中学生の頃、友だちに誘われて何か難しい本を買おういうことになったとき、手にした本が六法全書だったのだ。とても読めるような内容ではなかったが、六法全書を選んだ記憶だけは残っていた。
法律の勉強をしよう、と思ったものの問題が浮上
勉強というものをしてこなかった私には、何から手をつければよいか想像がつかなかった。そう勉強の方法がわからなかったのだ。私はとりあえず通信教育で教材を取り寄せ、一日最低2時間、土日の休みには最低6時間、出来るときは10時間の勉強を始めた。
1週間、2週間、1カ月、それまで勉強に打ち込んだことのない私にとって驚異的な頑張りが続いた。ところが、2カ月を過ぎた頃、その勉強のリズムを脅かす「年度末」という仕事上もっとも忙しい時期がやってきた。1時間、2時間と残業が増えてゆく。私は23時に帰ってきても24時に帰ってきても、最低一日2時間、必死に勉強することを守り抜いた。しかし、残業が続き、休日出勤が始まり、1か月間休みがとれなくなった頃には、勉強のリズムは崩壊していた。
そしてこの年度末という最悪の忙しさがようやく収束したのは、ゴールデンウィークを過ぎた頃だった。勉強のリズムは粉々に崩れ去り、勉強する気はすっかりなくなってしまっていた。
「もうやっても無駄だ」
私はまたしても逃げ出し、勉強をやめた。それから5年後、私は再び法律の勉強を始めるが、勉強を始めると残業と休日出勤という繁忙期に阻まれ、その手を止めることになった。どういうわけか、目標を持とうとすると現実の生活の「仕事」という壁が立ちはだかるのだ。
「それでもやり続ける」
それほどの情熱や根性は私にはない。人に言わせれば「それは本当にやりたいことではない」ということになるのかもしれない。
だが、私は生まれてから一度も「本当にやりたいこと=夢」を持ったことのない人間だ。
子どもの頃から目標に向かって一つ一つ努力してきたなどない。そんな私に目標を達成することはできない。大きな目標を立てたところで、それを達成できるはずがない。壁に向かって立ち向かうこともないのだ。勉強しては諦め、諦めてはまた始めるという繰り返しの中で、私はそのことを痛感した。
目標を持ったことのない人間が、大きな目標を持って上手くいくはずがないのだということを。
2 本当にやりたいたいことをやれる人間とやれない人間。そして見つけられない人間
すでに書いた通り、私は漠然とした夢さえも持ったことがない。
そんな私が「本当にやりたいこと」を見つけられるはずもない。もちろん、「やりたいこと」はいくつもある。だがそれは、その場その場ですぐに変わってしまう「やりたいこと」に過ぎない。一途に打ち込むような、「本当にやりたいこと」とは程遠い。それでも私はこの10年間、一生を捧げて打ち込めるような「本当にやりたいこと」を探し続けてきた。
「まずはやってみる。」
それを合言葉にして、あれこれと手を出した。自己啓発本なるものも買っては読み、読んでは買った。しかし、その時は「そうか、そうすればいいんだ!」と思っても長くは続かない。飽きっぽい性格だから、という問題ではない。子どもの頃から何に対しても打ち込んでこなかったツケが回ってきたのだ。私は「本当にやりたいこと」が見つけられないことに焦り、苛立ちを覚えていた。
「もしかしたら、このまま一生見つからないかもしれない。」
「なぜ、見つからないのだろう。」
「なぜ、見つけられる人間がいるのだろう。」
私は何度も何度も考え、これでもかこれでもかと手を出し続けた。
それでも「本当にやりたいこと」を見つけることはできなかった。苛立ちがピークに達し、私はふと思った。「本当にやりたいことを探す必要があるのだろうか。」本当にやりたいことは見つけるものではなく、ある日、突然見つかるものなのではないだろうか。
しかし、探さなければ見つからない可能性も大いにある。だがもし仮に「本当にやりたいこと」を見つけたとしても、それができるという保証はない。
年齢、生活環境、性別、あらゆる条件をクリアしなければならない。もしそれらの最低条件をクリアできないとしたら「本当にやりたいこと」があるのにできない、ということになる。普通の人間なら「本当にやりたいこと」を見つけたら、あとは突き進んでいくのだろう。だが、私は何をやっても続かず、粘れず、そして逃げ癖がある。見つけたとして、やり始めたとして、続けていけるかどうかわからない。すべてを犠牲にして打ち込むだけの情熱が持てるとも思えない。
大体、この世界に「本当にやりたいこと」を見つけられる人間がどれくらいいるのだろうか。
十人中十人ということはない。だとしたら、十人中何人かは「本当にやりたいこと」を見つけられずに生きていることになる。
ではその「本当にやりたいこと」が見つけられない人間の中で、どれくらいの人間が自分のことを「不幸せ」だと思っているだろうか。「本当にやりたいこと」が見つからないと嘆き続けるより、「見つけない」と決めてしまった方が、苛立ちは少なくなるのではないだろうか。
私には「本当にやりたいこと」がないだけだ。やりたいことがあるのに、できないわけではない。たとえこのまま一生「本当にやりたいこと」を見つけられない人生だとしても、「本当にやりたくないこと」ばかりをやり続ける人生ではない。
ならば案外、幸せなのではないだろうか。
世の中には、本当にやりたいたいことを見つけられない人間もいる。私がその一人であることを認めてしまった方が、見つけることに躍起になってイライラするよりも、数倍いいのではないか。
やりたいことを見つけて一生懸命、そのことを突き詰めている人間をうらやましく思い、自分を悲しむより百倍いいではないか。もちろん「本当にやりたいこと」を見つけられるに越したことはないが、それが一番幸せかどうか。それは誰にもわからない。見つけた人間にとってはそれが一番幸せで、見つけられない人間にはきっとほかの幸せがある。
本当にやりたいたいことをやれる人間とやれない人間。
そして本当にやりたいことを見つけられない人間。
その中で誰が一番幸せか。
それを決めることができる人間がいるとしたら、それは自分自身だけだ。
3 生きるために仕事はしない。何かのために仕事をすることもない。働くことに大した意味などない
「何のために働いているのだろう。」
何の目的もなく人生を生きている私は年に何度か、この疑問を抱き、数年に一度、真剣に悩む。そんなときはたいてい物事がうまく進んでいないときだ。すべてが順調に進んでいるときには、そんな疑問は浮かんでこない。
五年程前、生きることが嫌になった底の時代があった。
大きな別れがあり、わずかに抱いていた望みが立たれ、仕事に行くことも嫌になり、食べることもテレビを見ることも、何もかもが無意味になった。私がそのとき思ったことは、「生きていたくないのならば、食べなければいい。食べないのならば、もう働かなくてもいい」ということだった。仕事を続けている意味などない。生きていたくないのだから、苦しいだけの仕事など辞めてしまえばいい。
実際その当時、死んでしまおうと考えていた。ただその時、瞬間的に死ななかったのは、私の「考え癖」のせいだ。せめて最後くらいは人に迷惑をかけない死に方をしようと考えたからだった。もしこの考え癖がなかったなら、私は突発的に自分の命を絶っていただろう。それくらい毎日生きることが辛く、苦しかった。
私は自分自身に一年間の猶予を与え、ひたすら死ぬことを考えた。自分の身の回りを整理し、仕事を引き継ぎ、家族に迷惑をかけない死に方を考え続けるための一年。生きることを考える一年ではない。死ぬことだけを考え続ける一年だ。私のわずかながらの責任感がそうさせたのかもしれない。当時、死ぬことに恐れを感じてはいなかった。
記録をつけ、一年365日死ぬその日のことだけを考え続けた。結局、毎日死ぬことを考えながら生きているうちに、死ぬ気がなくなってしまった。一年という時の中で苦痛の原因が取り除かれたのだ。(この365日の話はまた別の機会にでも書くことする)とにかく、このとき私を「死」から救ったのは、目標を達成できないという私の生き方のおかげだったのだから、皮肉なものだ。
気持ちの変化は起こっては消えていく
生きることに決めると、どうせ働くのなら人のためになる生きがいのある仕事をしたい、と思うようになった。自分のためだけではなく、社会のためになる仕事。それこそが自分の価値につながると思ったからだろう。今でもそう思っている。
だが、くどいようだが私は目標を達成できない人間だ。社会の役に立つ仕事を、と考えれば考えるほど「~しなければならない」という考えにとらわれるようになった。やらなければならいことが山積し、やれない自分との差がどんどん開いていく。追い込まれて、再び底に到達しそうになる。
自分を忘れてはいけない。
社会の役に立つ仕事を。そんなことを考えたところで私にできるはずがない。社会の役に立つためにはどうすればよいのか。そんな目標すら持つことは許されない。
私は目標を達成できない人間なのだ。
私にできることは、与えられた仕事をこなすことだけ。手を抜かず、適当にやらず、真摯に与えられたことをやる。その先に、何があるのかわからない。もしかしたら何もないかもしれない。だが、その先に意味を求めても意味がない。
今は今、先は先だ。
この仕事に何の意味があるのか。そう思ってしまったらおしまいだ。どんな仕事にだって大した意味はない。意味がある仕事だとしてもそれは、数年、数十年の話。数百年にわたり意味のある仕事などまれだ。1000年たてば、歴史にうずもれてしまう過去に過ぎない。
大した意味がないのだから、考える必要もない。それでも意味を持ちたいのなら勝手に意味を見つければいい。見出せばいい。自分勝手に、そうか、こういうことかと決めてしまっていいのだ。初めから意味など持っていないのだから解釈は自由だ。自分にできないことをやる必要はない。自分にできることをやるだけだ。できることを毎日少しずつ増やしてゆく。到達地点などない。ただやるだけだ。
4 願いが力になるのなら追いかけよう。疲弊するなら諦めよう
私の人生において、いつも1番欲しいものは手に入らない。
おそらく、これからも手に入れることはできないだろう。どんなに強く願っても、がむしゃらに努力しても1番欲しいものを手に入れることはできない。今の仕事は当時2番目に好きなことを仕事にした。1番やりかったことは仕事にできなかったからだ。
1番欲しいものが手に入らないのは、仕事だけではない。
プライベートも同じだ。いつも一番欲しいものは手に入れることができない。自分の思いに執着し、10年という年月を費やした。それが何だったかは想像にお任せするとして、私はその10年の間、楽しいどころか苦しい連続の中にいた。
手に入れようと思うことで、努力を重ね、人生が楽しくなる、ということはもちろんあるのだろう。だが私は、毎日毎日同じことを考え、その思いに捕らわれ、支配され、地獄のような日々を送った。それでも、「諦めたら終わりだ。諦めたらそこですべてが終わる。諦めなければ終わらない。」そう自分を励まし、追い続けた。
しかし、諦めなければいい、ということばかりではない。諦めが肝心という言葉もあるように、諦めた方がいいこともある。こと自分以外の人間が絡んだ時は、執着し続けることは良い結果を生まない。
手に入れたいという思いはあった。
諦めたくないという気持ちも強かった。だが、私はそれ以上に疲れてしまい、もう何も願うまいと決めた。もちろん、また願ってしまうこともあるだろう。感情は頭ほど冷静ではない。だが手に入れようと思うことで、疲弊してゆくのなら諦めた方がいいと思うようになった。「頑張る」ことは大切だが「頑張り続ける」ことには限界がある。
10年間苦しんだのだ。
もう自分を解き放ってもいいではないか。あるがままに生きた方が楽になれる。きっと楽しく生きられる。私は幾度なく自分に言い聞かせ、ようやく決着をつけようとしている。(まだできていないのは、私の諦めの悪い性格のせいだ)。
諦めていく生き方を「かわいそう」と言われるかもしれない。「寂しい生き方」と言われるかもしれない。しかし紅蓮の炎の中に身を置き、苦しみの中でもがき続け、人から「幸せね」と言われるよりずっといい。
求めないことが手に入らないという結果を生むわけではない。躍起にならずとも手に入るときは手に入るのだ。ならば、流れのままに、あるがままに、その時手に入れられるものを得て生きた方が心は楽だ。
それが人から「努力が足りない」と言われようと、「悲しい人だ」と言われようと、自分が笑って生きられる人生ならば、見栄を張って苦しい人生を生き続けるよりずっといい。それでも未熟な私は、また願うだろう。だが、そのときは自分にいいきかせる。
この願いが力になるのなら追いかけよう。疲弊するなら諦めよう。
5 捨てられない私が捨てるための自分ルール
私は子供のころから物持ちがいい。
要は捨てられないということだ。捨てられないものが「物」の場合、何かしらの思い入れがある。それ以外の場合は、いつか使うかもしれないという気持ちがあり、捨てられずにいる。
だが、いつか使うもしれないという、その「いつか」はいつ来るのだろう。
1年以内に来るのならば、取っておくのもいいだろう。だが、その「いつか」が、5年、10年先ならば捨ててしまった方がいい。機械系ならば、性能が良く、コンパクトなものなどが出てきているはずだ。買うお金がもったいののなら5年、10年に数度しか使わないものなど、はじめから買わない方がいい。
そう思っていても捨てられないものはたくさんある。
捨てられない物の代表格が洋服だ。もともと流行を追う方ではないので、2年なんてあっという間だ。5年、10年着ている服もある。着ている服はまだいい。問題は買ってみたものの何だか似合わない気がする、着る機会がないなどの服だ。これがなかなか捨てられない。着てもいないのだから破れる、ダメになるなどということもない。新品の状態でクローゼットに収まっている。毎年その季節に取り出してみるものの、どうも似合わない気がして戻してしまう。その繰り返しだ。
それでも問題はないように思える。だが、問題は発生する。
着ない服がクローゼットを圧迫し、新しいものが買えない。豪邸に住んでいるわけではないのだ。しまう場所には限りがある。冠婚葬祭など特別な周期で使用するものはいい。だがそれ以外の服は「数年来なれば、もうこの先も着ないのではないだろうか」。
3年着なかったものは捨てよう
私はルールを作ることにした。以前、知人に聞いたと「一年着なかった服はもう着ない」と言っていた。
私の場合、一年置いてまた着ることがある。それを考慮し、3年と決めた。その都度判断するとぶれてしまうので、服は3年着なかったら捨てる。そのルールを守ることにした。
本は捨てたくないのでとっておく。ただし技術書は情報が古くなるので2年で捨てる。それ以外の物も捨てられないという感情に出会うたびにルールを決めていくことにした。捨てられない私が捨てるための自分ルール。おかげで「物」については、かなり捨てられるようになった。
6 人生には無駄な希望もある。いらない希望もある。それを捨てる決断も必要だ。
「物」より厄介なものがある。それが「思い」だ。
捨てることのできない「思い」は、人の足を止め、その場にとどまらせる。何かに執着したとき私が抱く思いはいつも同じだ。「今は無理でも、いつか変わるかもしれない」そんな思いを捨てられず、立ち止まってしまう。
だが「今」変わらないものが「いつか」変わるだろうか。
「いつか」は「今」の延長にある。「今」変わらないのならば、変えられないのならば、「いつか」変わる可能性はゼロに等しい。だが、ゼロではない。と思ってしまい、捨てることができないのだ。
わずかな希望をいつまで持ち続けるのか。
一週間、一カ月、半年、一年。自問自答の日々はあっという間に過ぎてゆく。同じことの繰り返し。10年が過ぎ、ようやく気がつく。同じことを考えて、一体どれほどの年月を費やしてきたのだろうかと。
1日24時間。1年365日。その十倍。恐ろしいほどの時間だ。望んでも望む未来など手に入れることはできなかった。思いを引きずってこなければ、希望など抱かなければ、もっと別のことに、その時間を使ってこられたはずだ。希望をもって生きることは良いことなのだろう。希望なくして生きては行けないという人もいる。
だが、世の中にはいらない希望もあると私は思う。
少なくとも私の「希望」は10年という年月を無駄にした。「もしかしたらまだ願いはかなうかもしれない。自分が思い描いているような未来が来るかもしれない。」そんな何の根拠もない希望を抱き、その希望を捨てられず、大切な時間を無駄にした。
何も願わなければ、何も望まなければ、苦しい思いも、つらい思いもない。何も望まず、目の前の現実に生きればいい。そんな生き方は空しい。何か見つけて熱中したい。そう思っている今の方がよっぽど空しい。いつまでも引きずっている思いも、かなうことのない無駄な希望も。私にとっては無駄の何者でもない。
「希望」を持つことができるのは、「希望」をより良い気持ちで持つことのできる人間だけだ。無駄にしてしまう私には「希望」は必要ない。
私は人に対する希望を抱くことを捨てることにした。
相手が自分の思っているように動くことは90%以上ない。もちろん「希望だけでも持っていられるのならそれでいい」そう思えるのならば持ち続ければいい。
だが、その希望を持ち続けることで、失っているものがあるのだとしたら、諦めてしまっているものがあるのだとしたら、そして我慢しているものがあるのだとしたら、それは無駄な「希望」でしかない。
人生には無駄な希望もあるのだ。それを捨てる決断も必要だ。
7 「何もしなかった」年月と「何かをしよう」とした年月の違い
ずっと書いてきたように私は20代半ばまで、「何かをしよう」と思ったことはない。もちろん、いつ旅行に行こう、この本を読もうといったことはあった。だが未来に対しては、何も描いてはいなかった。毎日遊び、遊ぶためにバイトをし、友だちとはしゃぎまくっていた。
その延長線上の20代後半から30代半ばまで「何かをしよう」ともがいた自分がいた。勉強をし、小説を書こうとチャレンジし、躓き、転び、大切な人と別れ、そして生きることが嫌になるほどの挫折と苦しみを体験した。
その間、いつも思ってきたことがある。
それは「明日の自分を助けることができるのは、今の自分しかいない」ということだ。自分以外の人の助けを借りないための呪文(おまじない)のようなものだったが、いつしかこの言葉が自分を苦しめていた。
10年先の自分、老後の自分、生かすも殺すも今の自分がどう生きるか。すべては今の自分が決める。そう思うようになっていた。未来の自分のために、今の自分が必死に無理をする。いつか自分自身を助けるのだと信じて、自分自身に鞭をうち、律し、勤勉になった。
だがこれでは意味がない。
10年後の自分を見据えて、今を生きることができるのは強い精神力の持ち主だけだ。私のように飽きやすく、何をやっても続かない人間にとっては「圧力」としか言いようがない思い、重い、言葉だ。
今の私は「何かをしよう」とした延長線上にいる。
「何もしなかった自分」「何かをしようともがいた自分」「その延長線上にいる自分」この3人を比べて何か違いがあっただろうか。答えは「ない」だ。
結局、どの時代の私も何一つ成し遂げてはおらず、身になってもいない。悶々とした日々を生きていた日々も、遊ぶためだけに毎日を生きていた日々も、希望を抱き勉強していた日々も、何も変わらない。おそらく何かを「成し遂げられる」人間であれば、この3人は全く別の未来を歩いているのだろう。だが、私には何も成し遂げられなかった。
嘆いているのではない。それが現実なのだとようやく受け入れられるようになった。
私はダメな人間だが、それでも私はそれなりに生きている。人から見て幸せな生き方ではないかもしれないが、私自身はそれほど悪くないと思っている。もちろん「いい」と胸を張って言えるほどではないが、悪くないなら、それでいいのではないかと思う。
友だちがいる。仕事がある。住む家がある。
電化製品と同じく、いいスペックを求めても、使いこなせなければ意味はない。大切なことは、必要なスペックさえ備えていればそれでいいということだ。たとえ、それが自分を納得させるための言い訳だったとしても、その言い訳に納得できるのなら、やはりそれでいい。
10年後生きているかどうかさえわからない。
もしかしたら、明日何かの事故に巻き込まれ、この世界から消えてしまうことだってある。だとするならば、明日の自分のことは、明日の自分が守ればいい。
今日の自分にできることは、目の前にあることをやることだけだ。やることのない日は無理してやることを探さない。何もしない一日を過ごす。明日の自分を助けられなかったとしても、今日の自分がそれでいいなら、無理をしていないのなら、それでいい。
未来の私のことなど、今の私の知るところではない。「何もしなかった」年月も「何かをしよう」とした年月も、大した違いはなかったのだから。
8 ありもしない期待に応えようと必死な自分
年齢があがるにつれて、職場の中ではいつの間にか上の方にいる。
年々、新しいスタッフが入ってくる。誰かが新人を一人前にしなければならない。上からはいろいろな命令がくだる。期待には応えなければならない。組織を大きくすることは私の肩にかかっている。
- そうだ、誰もやらないのなら私がやらなければならない。
- 話を円滑にするために、みんなに気を配らなければならない。
- 居心地がよく、スムーズに仕事ができる環境を作らなければならない。
- 社内を円滑にするためのルールをつくらなければならない。
- 質問にはすべて正確に答えなければならない。
- 今より技術を身につけなければならない。
- 見本として、きちんとしなければならない。
私の前には「やらなければならない」「しなければならない」ことが山積みだった。
だが私が努力したところで、人に何かを教えられるはずがない。人に何かを与えることができる器も技量もない。自分に厳しくしようとすればするほど、人にも厳しくなってしまう器の小さな人間だ。自分が我慢していると、人にもその我慢の押し付けてしまう。
それでも期待に応えようと必死だった。私がなんとかしなければダメなのだ、と思い込んでいた。誰も望んでいない幻の期待に応えようと、自分に無理をさせていた。
だが、私は気がついた。いや、自分を受け入れのかもしれない。
私には新人など育てられないし、チームをまとめる力もない。私はその程度の人間だ。人にはできることと、できないことがある。私には人のことをどうこうできるほど実力も人望も優しさもない。頑張ったところで、成し遂げようとしたところで、できるはずはない。
私は自分にできることだけをする。自分ができる以上のことはしない。誰かの助けを借りられるのなら助けを借りる。知らないことはほかの誰かが知っている。「やらなければならない」「しなければならない」ことなど、一つもないのだ。
ありもしない期待に応えようと必死な自分を私は捨てた。
9 「何もしない」と決めたことで得た時間
いついつまでにこれをしようと目標を決めて何かをしていたころ、時間には限りがあった。旅行しようと思っても、いや待て、仕事がこれだけある。ここまでやらなければならい。旅行はこれが片付いてからにしよう。と先延ばしになる。
いつまでにこれをしよう。という目標が時間の限界を決めてしまっていたのだ。するとどういうわけか、やりたいことの半分もできなくなった。すべてがその目標に押しつぶされてしまうのだ。やりたいことができないのなら、やりたいことなど持たなければいい。見つけなければいい。私の興味は一切遮断された。時折、描いていた絵も、小説も、自分のサイトの更新も一切ストップした。
だが、私はここまで書いてきたように「何かをしても」「何もしなくても」大きく違いはないと気がついた。ならば「何もしない」と決めた。
そう決めてしまうと時間は驚くほどあった。テレビを見る時間、本を読む時間、ぼんやりする時間、ゆっくりお茶を飲む時間。休みの日に出かける時間。「何もしない」と決めたとたんに時間が溢れてくる。
今日は何をしよう。今月はどうしよう。
思いを巡らす時間ができる。もちろん24時間という限りはある。今日やろうと持ったことが、すべてできないこともある。だが、やろうと思っていたこと自体にタイムリミットなどないのだから、明日やってもいい。明日できなければ一週間後でもいい。嫌になったなら、やらなくてもいいのだ。
時折、勉強しなくていいのか。仕事の技術を向上させなくていいのか。
そんな不安がよぎることもある。だが、それでいいのだ。「何かをしても」「何もしなくても」大きく違いはないのだから。時間は自由に使う。遊ぶことだけではない、勉強したいと思えば勉強することもあるし、思いついて休みの日に仕事をすることもある。
だが無理はしない。必死にはやらない。やりたいことだけをやる。
心が自由になるとやりたいことが心に浮かぶようになってくる。一生続けるようなことではない。およそ人生にとって無駄と思えることばかりだ。だが、それでいい。無駄なことも、無駄でないことも大差はない。
慣れるまでは大変だ。
そう決めたものの、つい何かをしようとしてしまう自分がいる。長い年月をかけて身に着けたことはそう簡単に脱ぎ捨てられない。そんな時は自分の心に言いきかせる。
「何もするな」
「それでいいのだ」
「何かをしたいのならすればいい」
もちろん、それですべてが幸せになるわけではない。
イライラすることもあれば、焦ることもある。泣くこともあれば、苦しくて逃げ出したくなることもある。仕事の繁忙期という忙しさに追われることもある。上から言われ、下からつつかれ、心が折れることもある。
だが、そんな時は迷わず逃亡する。
その日片付けなければならいことがないなら、半日や一日休んだところで大きな影響はないと自分に言い聞かせて去る。長く心にとどめておくと、大爆発しかねない。そうなれば手遅れになる。もちろん、それですべてが取り払われるわけではない。それでも時間に追われることはなくなった。この状態を「悪い方向に進んでいるのではないか」と思うこともある。もしかしたら、そうなのかもしれない。だが、それがわかるのは、まだ未来(さき)の話だ。
「何もしない」という生き方が、吉と出るか蛇と出るか。
5年後、10年後にわかるだろう。検証した結果、ダメだったと思うかもしれない。だが、その時どうするかは、その時の私が考えればいいことだ。「何もしないという生き方」は今のところうまくいっている。
の私にとって魔法のような呪文となっている。
10 最後の呪文
「何もしない生き方」というのは、勉強もしない、仕事もしないということでない。
仕事をせずに生きていくことができれば、それに越したことはないのだが、仕事をしなければ生活できないので仕事をしないという選択肢は私にはない。
言わずもがなかもしれないが、「何もしない」=「だらだらと人の世話になって生きる」という意味ではない。好きな仕事だけをするということでもない。好きなことしかやらない人間が周りにいることほど不幸なことはない。たいてい、そういう人間の周りにはその人間の尻拭いや、嫌なことを引き受けている人間がいるからだ。そして好きなことしかやらない人間は、決して周りの人間のことなど顧みていない。
少し話がそれたが「何もしない」という生き方は、最後の呪文だ。
責任感の強い人間は(決して私の責任感が強いといっているわけではないが)、「しなければならない」という強迫観念に捕らわれ、逃げることもできず、問題を解決することもできず、悲しい選択をすることがある。
私の場合は、自分が頑張らなければならない。やらなければならないという思いに捕らわれ、本当に自分がやるべき仕事を超えて、どんどんと深みにはまってしまっていたことだ。
かつて私の上司が「仕事はできる人間に集中してしまう」といった。
だが私はそれは少し違っているように思う。仕事はできる人間に集中するのではなく、引き受ける人間に集中するのだ。もちろん仕事を与えられれば努力し、対処することは当然だと思っている。だが、努力には限界がある。その限界を超えてまでやるべきではない。たとえ、その時クリアできたとしても、その後の燃え尽き感は半端なく、立ち直れなくなることがあるからだ。
自分を苦しめ身動きができなくなったとき「何もしない」ことを選択する。
どこまでが「何かをしていて」どこまでが「何もしてないか」この線引きは曖昧だ。おそらく人によって違ってくるだろう。それは自分で決めて行けばいい。
私は「何もしない」という生き方を始めて、「しなければならない」という強迫観念からは逃れることができた。おかげで、ホームページの運営を再開したり、小説を読んだり(ここ5、6年読んだことがなかった)、仕事の進め方を考えてみたり、ふと思ってやるようになった。
「(何かを)しているじゃないか」と思うかもしれないが、それらは「何もしない」ということの副産物に過ぎない。ただやりたいからやっているだけのことだ。「何もしない」という生き方を選んだら、やりたいことがあっても何もするな、という呪文ではない。やりたくないときは何もしないし、やりたいときにはやりたいことをやる。何かすることも、何もしないことも、私の自由。家族や仕事に迷惑をかけず、責任を果たしているのなら、それだけでいいと私は思う。もともと自分をしっかり持っている人間ならば、こんなことを考えることもないのかもしれない。だが、私はようやくこの答えを得た。
「何もしない」という呪文は、今